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肖像画で見るマリー・アントワネット4~お騒がせ王妃時代(後編)~

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王妃となり、またファッションリーダーとして貴婦人たちの憧れの的となったアントワネット。
待望の王太子も授かり、幸せの階段を駆け上がっていきます。

その一方で貴族たちとの対立を深め、不穏な空気が流れ始め、かつて経験したことのなかった試練が次々と現れます。アントワネットはどんな表情を肖像画に残したのでしょうか。

アントワネット25歳。ついに王太子出産!ルイ・ジョゼフ誕生

(出典:WikimediaCommons/Marie Antoinette with her children, 1781, by Charles Le Clercq)

待望の世継ぎ、長男ルイ・ジョゼフが誕生。結婚から約10年後のことでした。
なかなか子供に恵まれなかったことで気を揉むようなことも言われ続けたアントワネット。
ようやく肩の荷が降りたことでしょう。

3歳になった長女、マリー・テレーズとともに描かれた1枚です。

スザンヌ
スザンヌ
個人的にこの画家さんの作風好きだな~。ほんわり感がいい感じ。
ジュリエット
ジュリエット
テーブルの上もよく見て~。ルイ16世のトルソーに、バラの花。このバラはよく出てくるね!
オリヴィア
オリヴィア
アントワネットの好んだバラ、ロサ・センティフォリアだね。
肖像画で見るマリー・アントワネット3~お騒がせ王妃時代(前編)~ 1774年。ルイ16世の戴冠にともない、マリー・アントワネットはフランス王妃になりました。 ついにブルボン王朝の貴婦人の頂...

肖像画で炎上デビュー!? 非難ごうごうでお騒がせ

宮廷ではベルタンのドレスでファッションリーダーとなり、王子も生まれたアントワネットは、もう向かうところ敵なし。

この頃のアントワネットは現れるだけでヴェルサイユの貴族たちを黙らせる圧倒的な存在へと進化していました。

そして…つい?うっかり?それとも羽目を外して?…こんな肖像画を世に出してしまいます。それがこの「ガリア服を着たアントワネット」。お気に入り画家、ルブランの作品です。

(出典:WikimediaCommons/Marie Antoinette en gaule, 1783, by Élisabeth Vigée-Lebrun.)

官展に出展されたこの作品は、高位にあった人々から大ヒンシュクを買うこととなります。

スザンヌ
スザンヌ
え?どうしてダメなの?かわいじゃない?森ガール的な…

無造作に束ねた髪に、麦わら帽子。ふんわりしたブラウスはモスリンとも呼ばれる服で、部屋着のようなものでした。

もちろん、このような「日常の風景」も肖像画としてはなんら不自然ではないのですが、やはりアントワネットは王妃であることを忘れてはならなかったのです。

オリヴィア
オリヴィア
そこな。

このような姿を世にさらすとは、王族の権威、品位にかかわる、と非難が集中します。特に、アントワネットが日頃から折り合いの悪かった保守派の人々はここぞとばかりに槍玉に揚げつらい、ルブランは大急ぎで代わりの作品を描き上げます。

急遽、盛装ドレスに書き換え&差し替えた作品がこちら

「薔薇を持つアントワネット」。ルブラン大忙しです。

(出典:WikimediaCommons/Marie Antoinette with the rose, 1783, by Élisabeth Vigée-Lebrun.)

 

さきほどの作品と比べて一目瞭然。構図はほぼ同じです。

ジュリエット
ジュリエット
怒られちゃった部分をきちんと王族の肖像画っぽく描き直したのね。

・・・そんなわけで、同年にそっくりの肖像画ができ上がることとなりました。

なにがあったって肖像画はやめない。渦中で描かれた作品

どんなに窮屈な目にあっても、自分らしくあろうとするアントワネットは、徐々に貴族の中にも敵を作り始めてしまいます。

さらに、この頃夜の街に「お忍び歩き」をはじめたアントワネットはその姿をしばしば目撃され、人々にもその噂が立ち始めてしまいます。

アントワネットの運命に、暗雲が立ち込めてくるのです。

1785年。アントワネットの知らないところから、運命は動き始めます。得体のしれない男ニコラス・ド・ラ・モット、貴族に成りすます女ジャンヌ、そしてロアン司教がつながり始め、あの「首飾り事件」が起こるのです。

「首飾り事件」の渦中の作品。対照的な表情に注目
(出典:WikimediaCommons/)Marie Antoinette with a book, 1785, by Élisabeth Vigée-Lebrun)




(出典:WikimediaCommons/Marie Antoinette, 1786, by Élisabeth Vigée-Lebrun)

 

どちらもルブランの作品です。

「首飾り事件」は、アントワネットは名前を使われて巻き込まれただけで、まったくの無関係であったにもかかわらず、有罪を受けてしまいます。1枚目は事件が起こった1785年、2枚目は判決が下された翌年、1786年に描かれました。

ジュリエット
ジュリエット
上の作品ではまだ笑顔だったけれど…下の作品では少し表情が硬く見えるね

裁判を司る高等法院の貴族たちとも対立していたアントワネット。不利な立場に追い込まれてしまい、現代では考えられない不当極まりない判決を受けることとなりました。

さらに、この事件で負った莫大な負債額がフランス革命の引き金を引くこととなったのでした。

オリヴィア
オリヴィア
うーん…へこんでるときってあんまり顔を見られたくないものだけどね、そこは違ったんだろうね

アントワネットはこの後、過酷な運命に巻き込まれていきます…が、それでも肖像画は残します。

ジュリエット
ジュリエット
ちょっと珍しいタイプの人だよね
スザンヌ
スザンヌ
たしかに・・

脱出中でも牢獄でも関係なし!いつだってとことん肖像画

やがてフランス革命が起こると、アントワネットの運命は急転。ヴェルサイユ宮殿を追われるものの、がっちり肖像画は残します。

(出典:Wikipedia)

こちら、1791年。
あの「ヴァレンヌ逃亡」の時の肖像画です。

スザンヌ
スザンヌ
肖像画描いてる場合かーーーい!!

時間がなく、顔の部分以外が白いままとなっております。

ジュリエット
ジュリエット
はよ出発せーーい!!

この後、積み荷の重量オーバーと、フェルセンがパリの道に迷った、その他もろもろで逃亡は失敗します。

オリヴィア
オリヴィア
いや、あのいろいろ成功する気がしないんですが・・?

さらにコンシェルジェリー牢獄時代の作品も。

(出典:WikimediaCommons/Marie Antoinette in The Conciergerie, 1793, by Sophie Prieur)

 

この頃、すでに夫のルイ16世は処刑され、牢獄に居ながら喪に服した服装で過ごしたアントワネット。表情は暗く、もうドレスですらありませんでした。

アントワネットの肖像画…いかがでしたでしょうか

肖像画で見るマリー・アントワネット3~お騒がせ王妃時代(前編)~ から、彼女の一生をざっと追って観てきました。

若く勢いのある時に肖像画を残した貴族が、その後落ちぶれても肖像画を残し続ける、という例はほとんどみかけません。

みなさんはどんなご感想をお持ちでしょうか・・。

命がけの「ヴァレンヌ逃亡」、処刑まで秒読み状態の「コンシェルジェリー」、ここまで残す彼女の気合いはもはやあっぱれとしか言いようがありません。

彼女にとって肖像画とは、美しい自分をとどめておくものではなく、今ある生き様を永遠に残すもの、と考えていたのかも。そんな風に思えてなりません。

人々から非難されてる時だろうが、緊迫した時だろうが「今肖像画を描いてる場合ではない」のではなく「今描かなくてどうする。これが私よ」。そんなメッセージが聞こえてくるようです。

他の貴族たちと一味違う彼女の感覚や人柄を、ここからも読み取ることができるのかもしれません。

ジュリエット
ジュリエット
けっこう突き抜けた人だと思うのよね、アントワネットって。。
オリヴィア
オリヴィア
現代だったら絶対インスタやるタイプだと思います
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