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ちょっと知ってみませんか?アントワネットの兄弟&姉たちとは・・。

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知られているようで知られていないアントワネットの兄弟&姉たち。

マリア・テレジアは政治に精を出しつつ、16人の子供をもうけます。この子供の多さは、実はハプスブルグの政治的な「戦略」のひとつでした。

政略結婚によって権力を高め血筋を広げてきたハプスブルグ家にとって、娘たちは重要な「要員」であり、一方息子たちは後継者として教育されていきました。
歴史の中で色濃く存在を残したアントワネットは、いったいどんな兄弟、姉たちに囲まれて育ったのでしょうか。

アントワネットの兄姉たちの素顔とは・・。

マリア・テレジアのもとに生まれた16人の子供たちは、残念ながら全員が成人まで成長するわけではありませんでした。この時代の流行病や他の病気などで早くに旅立ってしまう子もありました。

16人中、6人が早くに亡くなっているため、実質子供たちは10人、6女4男となります。

彼らはどんな人柄で、どんな兄妹関係にあったのでしょうか。

\家族写真ならぬ家族肖像画だよ!/

(出典:Wikipedia)パパ・フランツ1世とママ・マリアテレジアと子供たち。

 

分かりやすいように息子と娘たちのグループに分けてみました。番号は生まれた順番、ブルーが男の子、ピンクが女の子です。グレーになっている子は若くして亡くなった子です。
それぞれの人柄やエピソードを見てみましょう。

ハプスブルグ5人兄弟、濃いめの長男から下に行くほど普通な人に

4 長男 ヨーゼフ2世(1741年 – 1790年) − 政治家として活躍。4人目にしてようやく生まれた長男であり、マリア・テレジアにとても可愛がられた。自分より優秀な姉(次女)、マリア・アンナと確執を持つ。さらに弟カール・ヨーゼフ、妹(四女)アンナ・クリスティーナとも確執があった記録があり、自分より優秀な姉弟への嫉妬や我の強さが伺える。

政治に熱心に取り組み、音楽の発展にも取り組んだ。アントワネットが嫁いだ後、ヴェルサイユにもときどきサポート役として登場。妹、アントワネットと共にオーストリアの音楽を愛好し、仲も良好であった模様。

7 次男 カール・ヨーゼフ(1745年 – 1761年)−容姿、知性に恵まれ宮廷でも注目を浴び、パパ、ママ一番のご贔屓であったため、「自分が一番」の意識が強い長男ヨーゼフとの間に亀裂が生じた。16歳で天然痘により死去。

9 三男 オポルト2世(1747年 – 1792年) −トスカーナ大公となり、ヨーロッパで初の死刑廃止を実現した。強引さのある兄、ヨーゼフ2世とは対照的な人柄であり、質素な生活を好んだ。兄とは反対にサリエリやモーツアルトを冷遇している。アントワネットが「ヴァレンヌ逃亡」に失敗すると事態を収めようと「ピルニッツ宣言」を発布するが、かえって火に油を注ぎフランス革命を勃発させてしまう。

14 四男 フェルディナント・カール・アントン(1754年 – 1806年) – オーストリア=エステ大公。5男5女を儲けた。

16 五男 マクシミリアン・フランツ(1756年 – 1801年) – ケルン大司教(選帝侯)ぽっちゃり体型であったため庶民にそのまま「ふとっちょのマクシイ」と呼ばれた。ベートーヴェンのパトロンであったことでも知られる。

スザンヌ
スザンヌ
ヨ・・ヨーゼフお兄ちゃんのクセが強すぎる・・

オリヴィア
オリヴィア
年が下になるほど無難な人柄になっていってますな。

\四男、五男のお兄ちゃんとアントワネットよ。まだまだ平和な頃/

(出典:WikimediaCommons/Marie Antoinette and her brothers, 1765, by Johann Georg Weikert. version A)

ハプスブルグ11人姉妹、それぞれ際立つキャラクター

1 長女 マリア・エリーザベト(1737年 – 1740年)3歳で病死

2 次女 マリア・アンナ・ヨーゼファ・アントニア(1738年 – 1789年) -背中が湾曲していまう病のため縁組されなかった。知性、教養においてかなり優れていたが、政略結婚の要員から外れたため、マリア・テレジアには可愛がられることがなかった日陰のような存在であった彼女は、優しい父の理解と愛情を得て優秀に育つも、複雑な境遇から頑なな一面を持ち、波乱万丈の人生を送った。

家族、兄弟と確執を起こしながらも修道院の改善や附属病院の改善に取り組み、病人や貧民を助け続けた。弟ヨーゼフ2世、さらに彼の妻マリア・イザベラとも冷たい間柄にあったが、最後は周囲の人に温かく見守られて天寿を全うした。

3 三女 マリア・カロリーナ(1740年 – 1741年)1歳で病死。ちなみに後に生まれる七女、十女にも同じ名前が付けられている。

5 四女 マリア・クリスティーナ(1742年 – 1798年) マリア・テレジアと同じ誕生日に生まれた。愛称「ミミ」。 マリア・テレジア一番のお気に入りであったため、兄ヨーゼフ2世の嫉妬を買うが、どういうわけかその妻、マリア・イザベラを慕い、熱烈なまでに深い信頼関係を築く。マリア・イザベラと打ち解けようとしない次女、マリア・アンナとは険悪になっていく。

何事にも多才で、特に水彩画を残していることで有名である。

娘たちの中で、唯一恋愛結婚を許された告げ口魔で何でもママに告げ口し贔屓されるため兄妹たちから大不評となる。アントワネットは彼女を一般客扱いし、プチ・トリアノンへの訪問は拒否している。

子供に恵まれなかったため、1人だけ恋愛結婚した報いとディスられる。マリア・テレジアの死後はヨーゼフ2世からも距離を置かれてしまう。

6 五女 マリア・エリーザベト(1743年 – 1808年)-姉妹中、一番の美貌を誇り、ルイ15世の再婚相手の候補となるが、天然痘にかかり破談となる。その後は結婚せず、修道院で暮らした。

8 六女 マリア・アマーリア(1746年 – 1804年) – 恋人がいたものの結婚を許されず、パルマ公と政略結婚した。姉の恋愛結婚と母親の姉びいきに不満を持ち、反抗的な態度が絶えなかった。

10 七女 マリア・カロリーナ(1748年)生まれて直後に夭折
11 八女 マリア・ヨハンナ・ガブリエーラ(1750年 – 1762年)12歳で病死
12 九女 マリア・ヨーゼファ(1751年 – 1767年) − ナポリ王フェルディナント4世との結婚直前に死去

13 十女 マリア・カロリーナ1752年 – 1815年) − フランス王太子、ルイとの縁談があったものの、死去したマリア・ヨゼーファの代わりにナポリ王フェルディナンド4世に嫁ぐ。マリア・アントーニア(アントワネット)とは双子の様に仲がよかったものの、勉強熱心な点で性格が正反対であったため、マリア・テレジアはアントーニアと分けて教育したという。母、マリア・テレジアと似た性格で夫に代わって実権を握り、政治や軍事を指導した。そのため、当初の予定どおりフランスに嫁いでいたら歴史は変わっていただろうと言われている。

15 十一女 マリア・アントーニア(1755年 – 1793年) –後のマリー・アントワネット。 マリア・カロリーナの代わりにフランス王太子、ルイと結婚。フランス革命の代名詞的な存在となり、世界史の中で最も有名な王妃の一人となる。

ジュリエット
ジュリエット
娘たちの結婚エピソードは一大事だね
オリヴィア
オリヴィア
キャラが濃いのはママのDNAかな・・
人生いろいろ、兄妹もいろいろ

同じ父と母から生まれ、同じ環境で育ちながら、母からの愛情も一様でなく、個性も性格も違う兄妹たち。

特に我の強さから兄妹とバチバチ確執を起こす長男ヨーゼフは、アントワネットにとってはよき理解者、サポート役でした。

一つのエピソードだけではその人柄を本当に語ることは難しいもの。アントワネットがともに過ごした姉兄たち。アントワネットの目には、どんな風に映っていたのでしょうね。

 

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